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交響曲 ロ短調『ポーランド』作品24は、イグナツィ・パデレフスキが1903年から1908年にかけて作曲した交響曲。公開初演は1909年に行われた。 == 概要 == この交響曲はパデレフスキのほぼ最後の作品となった。彼はこの後32年生きているが、1941年の最期までに作曲したのはわずか1曲、1917年の男声合唱のための讃美歌のみであった。彼が1910年頃から始めた活動は政治家としての道を切り開くことに繋がり、彼はついにポーランドの首相にまで登り詰めたのである。1919年のヴェルサイユ条約には、国を代表して調印している。しかし後年、彼はヴィルトゥオーゾピアニストとして演奏の舞台に復帰している〔Polish Music Center 〕。 パデレフスキが交響曲のスケッチを開始したのは、1903年、彼の家から遠くないスイスのモルジュにおいてであった。楽曲は1908年に完成し、私的な初演が1908年12月26日にローザンヌで行われた〔。公開の初演は1909年2月12日にドイツ人指揮者のマックス・フィードラー指揮、ボストン交響楽団の演奏で行われている。曲は間もなくパリでアンドレ・メサジェの指揮により、またロンドンではハンス・リヒターの指揮によって再演された〔〔。この曲がポーランドで初演されたのは1911年1月のことであり、パデレフスキの献身的な友人であったヘンリク・オピエニスキの指揮でショパンの生誕100周年を祝う演奏会において披露された〔ニューグローヴ世界音楽大事典、第5版 1954, Vol. VI, p. 482, Paderewski, Ignacy (Jan)〕〔。また、フィラデルフィア、ニューヨーク、ボルチモアの各都市でも演奏されている〔paderewskifest.com 〕。それ以来、曲は演奏機会に恵まれてこなかった。2011年に作曲者の没後70周年を記念し、ポーランド大統領のブロニスワフ・コモロフスキの後援により、イェジー・マクシミウク指揮、シンフォニア・ヴァルソヴィアの演奏で大統領官邸においてこの曲が演奏された〔thenews.pl, 29 June 2011 〕。 表題の「ポーランド ''Polonia''」とは、ポーランドの画家であるArtur Grottgerが1863年に発表した、同名の8作品の風刺漫画シリーズに影響を受けたものと思われる。そこでは、ロシアの支配下における日々の暮らしの過酷な現実と闘争が描かれていた。その作品は1月蜂起として知られる、1863年から1865年の暴動が失敗に終わったことをきっかけに描かれたものだった〔adrianthomasmusic.com 〕。この暴動にはパデレフスキの父も巻き込まれて、逮捕までされている。パデレフスキは当初、1月蜂起から40年周年の記念にこの交響曲を捧げるつもりでいたが〔Music Web International 〕、総譜にはそのような献辞は書かれていない。 曲の様式は瑞々しくロマン的で、リスト、チャイコフスキー、シベリウス、ラフマニノフ〔、マーラー〔Music Web International 〕、スクリャービン、グラズノフ、バラキレフ、ミャスコフスキー、コルンゴルト〔Music Web International 〕、グリエール〔、エルガー、リムスキー=コルサコフ、リヒャルト・シュトラウスの音楽と比較され、またショスタコーヴィチの先駆けるものであるとさえ言われる〔Amazon 〕。 1915年、エルガーは交響的前奏曲「ポローニア」Op.76を作曲し、パデレフスキに献呈している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「交響曲 (パデレフスキ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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